ココロはカラフル

ココロもエステしませんか?

対等という敬意

 

心理学者のアドラーは、

"人は対等である"

と唱えています。

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親と子、上司と部下、顧客と業者など、あらゆる対人関係は「縦」ではなく「横」の関係にあり、人と人とは対等であると言うのです。

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親に向かって口答えするな、子供のくせに〇〇だ!

と言われて育った昭和世代の私にとって、この考え方は最初ちんぷんかんぷん!

 

でも今はその意味がだんだんと分かってきて、こんな風に思うのです。

 

好きなヒト、モノ、コトこそ

心の中では対等でありたいと。

 

私は好きなヒト、モノ、コトを自分より上に置く癖が元々あって、癖が出やすいパターンでは気をつけていないと今も発動することがあります。

 

でも上に置くと、時には強迫観念や執着に変わる可能性を帯びてくることも分かってまして。

 

そうなるといつの間にか

"やりたい"が

"やらされてる"、"やらなきゃ"に感覚が変わっていたり、

 

すると決めた・受け入れたのは自分なのに

"こんなことされた"、"言われた"に解釈が変わっていたり。

 

 

それは時に

"好き"から"嫌い"へ反転することを予感させます。

 

 

好きなヒト、モノ、コトは私がいる世界に現れてくれた、もしくは私の無意識が出現させた大切にしたい存在。

 

だから対等の中には

対象へも自分へも敬意と尊重は存在するし、その気持ちを持ち続けたい。

 

大切だからこそ対等で在るために

できる限り

強がらず、弱ぶらず、

いい子ぶらず、悪ぶらず、

あるがまま、

主体的でありたいと思うのです。