脳内お姉ちゃんの声に気づいて冷静になった後、
お姉ちゃんと答え合わせせんでいい
と思った瞬間、私を縛っていた見えない鎖がほどけたような、ふわっと力が抜けた感覚がしました。
ビックリしたのが当時背中のコリで通っていた整体の先生が、この直後の診察で
「何かされたんですか?別の人の体みたいですよ。背中に羽が生えてるみたい。」
とおっしゃって。
先生何も知らんのに、、。
そんなことある?!
今思うとホッとして緊張がほぐれたんだろうなぁ。
(私が身体症状の出やすいタイプなのもあります。)
こうした声の主を"超自我"と名づけました。
簡単に言うと良心ですね。
親の躾や常識を取り入れた道徳を教える賢人のような存在で、「私(自我)」を指導・監視します。
しつけの厳しさや環境、本人の性格によって差はありますが、賢人は誰もに存在し、その声が大きすぎると「私」の声が小さくなるのでバランスが大切です。
ちなみに
〇〇すべき・ねばならない・しなきゃ
〇〇することが良い・正しい・義務
などは賢人の声。
私の場合、どうしたいかよりも頭の中の賢人に褒められよう、認められようと行動しすぎたことで賢人の声が大きくなり、賢人は正しいはずとだいたい鵜呑みにしていました。
カウンセリングは安心して「私」を表現できる場でした。
自分の弱さも強さも認めたり、私が思いつかない質問や視点で考え方の偏りやジャッジに気づくと、それを手放すために持ち帰っては実践。
でも三歩進んで二歩下がるの日々でしたねぇ。
ある時
体調不良は身体のストライキやで
と自分から湧いてきたときは、明らかに私の声だ!という感覚があって、自分と深く繋がる大切さをお伝えしているのはこの体験からなのでした。
現在の賢人はというと、
より色んな人の価値観を内在し、アドバイスも厳しいことも言います。
ただし反射的に従っていた声も今は意識化できているので、たしなめたり従ったり却下したり。
「私」主導(手動?)で判断、行動、失敗を繰り返しながら、30歳を過ぎて"新生「私」"が育ったのです。
今も新しい知識や価値観は人体実験の日々(ヲタク的に楽しんでますが 笑)。
こうして主導権が「私」にある時間が長くなり、選択・操縦している感覚があるため、肩の力が抜けて行動に柔軟性とバリエーションが出て楽になったし、"私らしく"表現できるようになりました。
自分で「私」を育てたことで自信も生まれて、夫ともより深い信頼関係を築くことができたんです。
③へつづく
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