ココロはカラフル

ココロもエステしませんか?

〇〇と思われるのが怖い

 

この前友達に

「人からどう思われたら怖いとかある?」

って聞いてみたんですよ。

 

友達は「私は〇〇って思われることかなぁ?」って。でもそれを聞いたとき、正直自分ならさほど怖くないかも?と思って。

そして友達も私の△△って思われるのが怖いってやつをそれ私は別に怖くないっていう。

 

それで

気にしてもしゃーない

って気持ちをまた大きく育てることができました。

 

人間は誰でも過去に表現したときに傷ついたなど、嫌な思いをした経験をデータに持ってるから、心はリスク回避しようとしてくるんですが、それで表現をセーブしすぎるても生きづらさになりかねない。表現をする工夫も必要なんですね。

 

で、友達とこのやりとりができたおかげで、発信する側であれ受け取る側であれ、心の反応って本人のエリアやなと改めて思ったんです。

心理学者アドラーさんの言葉を借りるなら

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私がこれを目にした頃は、他者との境界線超極細レディ時代。

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人からよく思われたい、自分を責めやすい、人目が気になりまくる私にはちょっとよく分からないって思ってました。

誰だってむちゃくちゃなこと言ったらそりゃさー。発言する側が気をつけてさえいれば。。

 

 

 

 

ん?

 

 

 

あれ?何かちゃうな。

 

 

やんな、

 

そうやんな!アドラーさん!

と数年かけてジワジワ身につけたほど。。

f:id:color-takayo:20230309013232j:imageえー俺ずっと言うてるしぃ(遠い目のご本人)

例え私に落ち度があったとしてもやん。

それでみんなが共通の反応、行動をする?いやせーへん。

陰口言う、本人に直接反論する、何も感じない、無視する。逆に面白いと思われることも!

どれを選ぶかも選択のもとになる反応(感情)も、確かに相手側の事情。

で、そのリアクションが不満ならこれまた引きずるのか、聞いてみるのか、切り替えるのか。今度はそれがこちらの事情。てな具合。

だからこう思われないようにとか、こう思ってもらおうとかは気にしてもコントロールできないことで、できるのは伝えたいことが伝わるにはどうすればいいかを工夫すること、楽しむこと。

ただ!これを腑に落として実践するにはアドラー心理学の柱である

共同体感覚(自己受容・他者信頼・他者貢献・所属感)を育てることが大大前提。

めちゃめちゃざっくり言うと仲間意識です。これもジワジワ育み中。

ってコレもう宇宙理論でいうワンネスやん!って私は思ってますが。

(共同体感覚についてもまた詳しく書きますね!)

 

〇〇と思われるのは嫌、怖いって気持ちも、過去に傷ついた事実を無いことにする必要はないのでね。

相手の反応や人目を気にして表現を躊躇してる、モヤモヤしてるって方がスッキリできるきっかけになりますように(^^)

どんなカタチ、対象、範囲であっても一人一人がかけがえのない表現者だと思ってるし思い続けてたいんです、私♡