先日、辻村深月さんの小説「傲慢と善良」を読みました。
もう心理描写がたまらんくて何回唸ったやろ。
で、今回は主人公の婚約者・真実にインスパイアされて、真実ほどじゃないけど同じく「いい子」だった自分の心理描写をどうしてもしたくなり。。誰が興味あんねんって囁く声が聴こえる。。
いい子がぶつかった精神的自立の壁を、ちょっとリアルに表現したくてエッセイ形式で書きました。
ええ、素人のエッセイです。ほんで長いです。。
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「恵まれてる子」。子供ながらに周りからそう見られてる気がしてたから、普通の家であってほしい反面、普通じゃなくあってほしいとも思ってた。
それなら恵まれた子には相応しくない感情も自分の弱さや甘えのせいじゃないと許される。
けど苦しさや寂しさはどこの家にもあるだろうと、不満なんて贅沢、感謝しなきゃと感情に蓋をして、「いい子」になって居場所を守ったつもりだった。
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結婚して、不正解を出さないように生きてきた「いい子」のメッキが剥がれた。
処理したはずの感情も蓋を開ければ未完了のまま。それが今でも心身や夫婦関係に影響してたなんて。自分の基準を育てるためにどうしたいのか吟味して選り好んで、実家とも一旦距離を置いた。
いい思い出に引っ張られそうなのと、抑えてきた感情が溢れてコントロールできず、拒絶という極端な姿勢でしか自分の声に集中できなかった。
きれいごとを並べた頭の声とドロドロの感情が絡まった内面。整理して寄り添って受け容れたら、ゆとりとチカラが戻って元気になった。
ずっと拭えない不一致な何かが時々チクリと刺さったけど、心がどんどん未消化な気持ちを話すようになって、色々明晰に教えてくれた。
"両親の愛を認めたくなかった
認めたら私がこの程度の価値しかない気がしてしまう 愛されてるってもっと分かりやすく感じてみたかった
母は私じゃなくて私の目に映る母自身を見てるみたいで寂しかった
本当は自分も愛が欲しくてたまらなくて認めてほしそうだった 私だって褒められたかった
だから与えられているのに減ってる気がした"
両親の意に添ってれば見捨てられないし安心でラクで、それが意思決定の基準で。
反発して家を飛び出すほどの勇気も、辛さをバネに頑張る気力も養えてなかった。
その自分を善良さでごまかしてた。
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親の言葉や態度を、自分の価値と繋げて無力さや無価値さを感じていたこと。
親の心の事情と私の価値は関係なかったこと。
愛情のルールを決め付けて、一番欲しい愛され方以外は代用品としか思えなかった傲慢な自分。
お膳立てや周りが変わることを期待して、自分からは動かない受け身な自分。
自分と他人の心の荷物を区別できるようになって、「全ては自分次第」に着地した。
なんだけど、幼心に夢見た、私より私を愛してくれてると思っていた母からの優しい言葉。
それはとても甘美で温かくて、私の存在が認められた証拠になって、自分を愛する許可ができると思い込んでる小さい私がまだ残ってる。
だから自分の思いを伝えてみたけど思うようには叶わなかった。
これで理想が成仏して、母も不完全な1人の人間だと目が覚め、自分が愛すべき唯一無二な"存在"だと分かった気がした。
そしたら私が私をマルしてくれて、私が私を信じてくれて、今のままでも自分を愛していいよと言ってくれた。
自分への信頼、許可が繋がったら身体から感謝が溢れて、あれも両親の不器用な愛だったと自然と認められた。
チクリと感じていたのはただ純粋に親を大切に思って幸せを願いたかったから。
三十過ぎて「私がどうしたいのか」を手探りに生きるスタート地点に立った。
その感覚は清々しく、パワフルだけど静かで、あ、私がずっと欲しかったものってこれか、この"感覚"が欲しかったのか、と思った。
えらく遠回りした気がして、真面目で神経質な性格に損したような悔しいような。でも力が抜けて無性に可笑しくなった。