ココロはカラフル

ココロもエステしませんか?

私の傲慢と善良

 

先日、辻村深月さんの小説「傲慢と善良」を読みました。

f:id:color-takayo:20230209224127j:imageもう心理描写がたまらんくて何回唸ったやろ。

で、今回は主人公の婚約者・真実にインスパイアされて、真実ほどじゃないけど同じく「いい子」だった自分の心理描写をどうしてもしたくなり。。誰が興味あんねんって囁く声が聴こえる。。

いい子がぶつかった精神的自立の壁を、ちょっとリアルに表現したくてエッセイ形式で書きました。

ええ、素人のエッセイです。ほんで長いです。。

「恵まれてる子」。子供ながらに周りからそう見られてる気がしてたから、普通の家であってほしい反面、普通じゃなくあってほしいとも思ってた。

それなら恵まれた子には相応しくない感情も自分の弱さや甘えのせいじゃないと許される。

けど苦しさや寂しさはどこの家にもあるだろうと、不満なんて贅沢、感謝しなきゃと感情に蓋をして、「いい子」になって居場所を守ったつもりだった。

結婚して、不正解を出さないように生きてきた「いい子」のメッキが剥がれた。

処理したはずの感情も蓋を開ければ未完了のまま。それが今でも心身や夫婦関係に影響してたなんて。自分の基準を育てるためにどうしたいのか吟味して選り好んで、実家とも一旦距離を置いた。

いい思い出に引っ張られそうなのと、抑えてきた感情が溢れてコントロールできず、拒絶という極端な姿勢でしか自分の声に集中できなかった。

 

きれいごとを並べた頭の声とドロドロの感情が絡まった内面。整理して寄り添って受け容れたら、ゆとりとチカラが戻って元気になった。

ずっと拭えない不一致な何かが時々チクリと刺さったけど、心がどんどん未消化な気持ちを話すようになって、色々明晰に教えてくれた。

両親の愛を認めたくなかった
認めたら私がこの程度の価値しかない気がしてしまう                       愛されてるってもっと分かりやすく感じてみたかった

母は私じゃなくて私の目に映る母自身を見てるみたいで寂しかった
本当は自分も愛が欲しくてたまらなくて認めてほしそうだった                    私だって褒められたかった
だから与えられているのに減ってる気がした"

両親の意に添ってれば見捨てられないし安心でラクで、それが意思決定の基準で。

反発して家を飛び出すほどの勇気も、辛さをバネに頑張る気力も養えてなかった。

その自分を善良さでごまかしてた。

親の言葉や態度を、自分の価値と繋げて無力さや無価値さを感じていたこと。

親の心の事情と私の価値は関係なかったこと。

愛情のルールを決め付けて、一番欲しい愛され方以外は代用品としか思えなかった傲慢な自分。

お膳立てや周りが変わることを期待して、自分からは動かない受け身な自分。

自分と他人の心の荷物を区別できるようになって、「全ては自分次第」に着地した。

なんだけど、幼心に夢見た、私より私を愛してくれてると思っていた母からの優しい言葉。

それはとても甘美で温かくて、私の存在が認められた証拠になって、自分を愛する許可ができると思い込んでる小さい私がまだ残ってる。

だから自分の思いを伝えてみたけど思うようには叶わなかった。

これで理想が成仏して、母も不完全な1人の人間だと目が覚め、自分が愛すべき唯一無二な"存在"だと分かった気がした。

そしたら私が私をマルしてくれて、私が私を信じてくれて、今のままでも自分を愛していいよと言ってくれた。

自分への信頼、許可が繋がったら身体から感謝が溢れて、あれも両親の不器用な愛だったと自然と認められた。

チクリと感じていたのはただ純粋に親を大切に思って幸せを願いたかったから。

 

三十過ぎて「私がどうしたいのか」を手探りに生きるスタート地点に立った。

その感覚は清々しく、パワフルだけど静かで、あ、私がずっと欲しかったものってこれか、この"感覚"が欲しかったのか、と思った。

えらく遠回りした気がして、真面目で神経質な性格に損したような悔しいような。でも力が抜けて無性に可笑しくなった。

「私が悪い」は選び直せる

 

こうなったのは私のせいだ

 

こんな私じゃ価値がないように感じる

 

うまくいかないこと、嫌な思いをしたときにこんな言葉がよぎるって方に知ってほしいお話です。

もちろん価値がない、悪いと思う自分はダメじゃありません。そう思う自分も許しながら読んで貰えたらと思います。

 

 

 

そもそもオギャーと誕生してから初めてそう思ったのはいつでしょうか。

 

「あのぉ、そろそろ、オムツを、、

 あ、やっぱもうちょっといけそうです!

 先にご飯の支度すませちゃってください!」

 

「うーわ、お母さん目の下のクマやば!!

 私の夜泣きのせいや。ホンマすいません、、」

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なんて赤ちゃんを見たことはないですよね。当たり前だけど笑

 

言いたいことはですね、生まれた瞬間はみんな

自分は愛される"存在"

世話されて当たり前

そんなことは言うまでもないほどの前提ってことです。

だからお腹すいた、眠いって泣きじゃくることが堂々とできるんですね。

赤ちゃんは欲求しかなく本能のかたまり、魂そのもの。

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周囲の大人の事情を考慮するなんてのは当然未発達なわけですが、それでも何か起こった時は出来事に意味づけしようとします。

 

そんな未発達な判断力で小さな子がしやすい意味づけに

"私に(愛される)価値がないから"

"私が悪いから"

があると言われているんですね。

 

 

愛されて当然と思っていた自分がこんな扱いされた!!となった時、

 

は?何してくれてんねん

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よりも

え!うそ!えーっとえーっと、、

あ、私が悪いんか

と結論づける。(←分からないと不安だから)

様々な事情が重なった結果、こう判断することがあるんです。

 

つまり今日お話したかったのは

当時の捉え方が更新されないまま、大人になっても自動的に思考が発動されていることがあって、ネガティブなせいってわけじゃないんですよ

ってこと。

また、敢えて言うなら事実本当に悪くなかったってことが大いにあるってことです。小さな子供なりのそんな背景があったんですよね。

 

じゃあもし大人の頭で捉え直すなら

大切にしてほしいことは

・他者との境界線

・どんな自分も認める自己受容

 (マルできない自分もマル)

・感情は消化が大切

・相手を理解することで自分の気持ちに蓋をし

 なくても大丈夫

などで、具体的には

相手は別人格で同じものを見てもどう反応するかは人それぞれ。

本当に私のせい?

そもそも犯人探しって必要?

大切なのは困ってることをどうするか

 

そう思えたら苦労しないって話ですけどね、すぐにできなくてもしょうがないんです。

気持ちを落ち着かせるために納得できるよう、自分を守ろうと頑張ってきた自動思考さんは、新たな捉え方を跳ね除けるくらいの瞬発力を持っています。

だから敵視ではなくサポートする感覚で(^^)

こうして見直すことを意識していれば、自分に合った考えや感覚にシフトしていけるようになりますよ。

あ、そうなるのが"正しい"ってことじゃなく"ラクです"って意味で(^^)

 

当たり前なことを自ら気づくって難しいこともありますし、見直したいけど1人でするのはどうも、、と思われる方はぜひセラピーをご活用くださいね。

"私に我慢をさせる人"になる前に

 

あー私またやってる!!

 

f:id:color-takayo:20221026023902j:image懐かしのカルキン君

 

友達にジムへの不満を話した時にハッと気づく。

 

 

 

今通ってるジムは車で通いやすいのが一番で決めたけどちょっと不満があって。

でもまぁ近いのラクやしと流してるって言うたんです。

 

すると友達がそれをジム側に伝えないの?って。

 

 

 

 

 

出た!私のクセ!!

 

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違和感スルーして不満の芽を摘まんと育てるパターンや。(でもそんな自分は責めてませんよ♡)

 

ん?あれ?って初めに何回か感じた時に伝えていれば、お互い嫌な気分になりにくかったやろうに。

これこのままやったらアレやん、あーやしこーやし言うて流してるつもりが流せなくなって、結果退会して別のジム探そってなるかもしれん。(←それも全然アリですが私はこれをなるべくやめたくて)

でもすでにジムの人と関係性もあって、トレーナーさんええ子やし。

 

よくしてもらってると感じる人へは

特に不満が言いにくい。

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親切にしてもらってるしとかって相殺しようとするんですよね。

 

結局ジムの人へストレートに不満を言う勇気はなく、これなら言えるっていう希望を伝えたら対処してくれたので、いい気分でトレーニングできました。

 

私はこのスルーを夫にもしていたタイプ。

"気になるけどまぁええか"

"アレ、また?でもまぁええか"

"ほんまは嫌やけどしゃあないか"

"え、でもソレ当然と思ってる?"

"いやいや私だって…"

とか、気づけば心の距離や溝、被害者意識が芽生えるってことがよくあったんです。

でも違和感や不満を小さいうちに伝えるよう心がけてからは、ラクになったし夫自身は変わってなくても私の中で夫婦のイメージが良いように変わりました。

小さいうちの方が言う側もより軽い口調で伝えやすく、相手が重く受け止めにくかったり聞き入れられやすかったりするんですよね。

 

 

"不満は小さいうちに相手へ伝える"

これはパートナーシップで大切なことの一つと言われています。

小さいうちに伝えずにいると、気づけば"夫=私に我慢をさせる人"になって、関係性が変わるきっかけになりえるんですね。

 

そうは言っても

"みんなこのくらい我慢してるんじゃない?"

"いちいち言う方がめんどくさい"

"まぁいっかって気にしないことも大事"

そんな気持ちもあってどうすればいいか分からないこともありますよね。

それに今まで言わなかったことを言ってみる初めの一歩は勇気が必要だったり。

 

そんな時はご自身に合わせたコミュニケーションや気持ちの整理の仕方を知ることも役立ちます。

セラピーでもお伝えしていますので、ぜひ(^^)

 

自分で決めるパワーッ、ヤーッ

 

今年に入ってからパーソナルトレーニングを始めました。

f:id:color-takayo:20220815121845j:image筋肉は裏切らないはホンマでした

 

私の中でトレーニングといえば中高のクラブ活動のイメージしかなく敬遠してきたもの。

しかも当時は実践練習がやりたいのに、体力の向上につながると言われてもきついしやらされてる感満載だったので、余計嫌だったんだと思います。

試合のメンバーに選ばれたい、試合で勝つためという競争意識もありましたけどね。

 

でもパーソナルは自分でやりたくて、やると決めて選んで、自分のペースでやっているので、やらされてる感覚と気分が違うもんだなと思ってて。

あの頃より格段に体は動かなくなってるんですけどね。。

 

で、今日ご紹介したいのが

"自分で決める大切さ"

です。

心理学では自分で決めてやることが幸福感につながると言う考え方があります。

 

ただし自分で決めたと受け入れるって、実は何気に抵抗があったり勇気が要ることで、自分の事にしていくことが怖いように心が感じる場合があるからなんです。

 

 

それで、セラピーでお子さんが

"宿題しなくて困ってます"

"自分で身の回りのことをしません"

なんてお話を聞くことがあります。

これらのご相談を"自分で決める"の視点で見てみると、もしかすると

お母さんがうるさいから

お母さんに黙ってほしいからやる

など、お子さんがそんな動機になっていて、自分のことだけどやらされている感覚、嫌々やっているというループになっている場合があります。

(全部がそうなわけじゃありませんよ)

じゃあそのループから抜け出すにはどうしたらいいか。

・自分のできることを自分で決める(親子ともに)

・決めたらお互い自分のことに専念する

・上手くいかなければ方法が合ってないだけなので、自分も相手もダメ出しすることなく見直していく

 

その体験を積み重ねていくことなんです。

 

ただですね、「何だったらできそう?」と聞いた場合、なかなかハードルの高いことを言うてくる可能性もあります笑

 

「は?アンタそんなんいきなり無理に決まってるやん!」

そんなふうに言ってしまいそうになるお気持ちはわかります。。

が、そこは思いっきり心の中で突っ込んでもらっていいので、言うのはグッととどめてください。

 

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その上で、

「このぐらいからやってみたらどう?」とお母さんから見てお子さんができそうなレベルの提案をするのも1つです。

そうやってお子さんに主体性を持つ感覚の経験を、お母さんがゆとりのあるタイミングで、勉強に限らず生活面何でもいいので任せてみようと思うことがあれば試してみて下さい。

お子さんも本当は自分で自分を信じたいと思ってます。

自分で決めたことをできたと言う感覚は自信になります。

なので、

「ほら、お母さんのサポートが良かったから」

「お母さんの言った通りにしたらできたでしょ?」

と言いたくなったら、またまたそれは存分に心の中で叫んでもらって!(だって間違いない!)

 

f:id:color-takayo:20220815122541j:image俺のおかげさ

 

逆に褒めすぎもせず、うまくいった体験もいかなかった体験も、成果も、お子さんサイドで自分事に熟成できる時間を持たせてあげてください。

 

内容は理解できるけど、実際どうしたらいいか、、など、具体的な方法を知りたい方は、ぜひゆっくりセラピーでご相談を。

一緒にカスタマイズしていきましょ^_^

「自分を愛する」をミスチルのアルバムで例えてみた

 

半年以上大変ご無沙汰しております!

 

不定期にもほどがありますが、、

にもかかわらず、こうしてブログにご訪問くださりありがとうございます 涙

 

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 

さて、このブログでも以前ネタにさせていただいたMr.Children

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この度

デビュー30周年を

お迎えになりましたー!

f:id:color-takayo:20220521113836j:imageそれに合わせてCDアルバムが発売されたのですが、聞きながら思ったんです。

30年間ずっと大好きなミスチルでさえ、全部の曲が好きかと言われたらそうじゃないな。

(全部好きですってファンの方もいらっしゃるかもですが!)

これって「自分を愛する」に例えられるんじゃね?と。

 

アルバムにも好みはあって、その中でもリピート再生するほど好きな曲から時にはスキップする曲まであるけど、結果ミスチル愛は溢れてる。

 

で、アルバムを容姿や環境などの自分の要素、曲は顔のパーツとかさらに細かくしたものだとして「自分を愛する」に置き換えてみたら…

 

例えば

この目は好き、でも鼻は嫌い。

ただ容姿全般はわりと気に入ってるかな。

怒りっぽいところは嫌、でも自分の意見を言えるところは好き。

男前な性格もええんちゃう?

みたいな感じ。

 

自分を愛する・好きになる、自己肯定感を上げるには、自分のここが嫌いって思っちゃいけない、良いように解釈し直さなきゃだめってイメージがあるかもしれません。

 

例えば私は口元がコンプレックスなんですが、自分を好きになるために口元を「え、待って、でもよく見たらその前歯リスみたいで可愛いやん♡」とか、

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って思えるかー!!

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なんですね、私はね。。

もちろんほんとに心からそう思えるなら全然いいんです!

でも私は無理矢理感が拭えず、納得できる肯定的な捉え方も見つけられていません。

さらにポジティブに変換できない自分はダメだなぁとか始まっちゃうと…。

他にも容姿で嫌だなって部分はあるし来世は小松菜奈ちゃんみたいな顔になりたいけど、割と長めなまつ毛は気に入ってるんです。

 

てな具合に好きも嫌いも集まったのが「私」であり、その自分を受け入れて愛情を、愛着を持てるかが大切だなって。

しかも私の口元は「イヤ」だけど「ダメ」(否定)ではないですし、イヤなものはイヤだという気持ちも今の私の一部。この先リスみたいって思える日が来るかも、、し、しれない、し、、。

 

だから自分のここが嫌いって思ったままでも別に良くて、好きにならなきゃいけないわけでもない。

改善するためにはありのままの自分を受け入れて認めること(自己受容)から始まりますが、改善するために受け入れなきゃいけないんじゃなくて、まずはこれでいいよって安心感を自分に与えてあげることが大切なんです。

 

自己肯定感や自分を好きになるって色んな解釈が飛び交ってると感じたので、私が取り入れてる理論をミスチルのアルバムに例えて紹介してみました(どんなセラピストや!)。

ご参考になれば嬉しいです。

 

f:id:color-takayo:20220521120749j:image来月はいよいよライブに参戦!30年分の感謝とともに思いっきり味わってきたいと思います。

 

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過去記事:姉とカウンセリングと私

 

今日10月10日は世界メンタルヘルスデーです。

メンタルヘルス、メンタルケアを身近にしたいと活動をしていますが、そもそもカウンセリングやセラピーを受けるってどんな感じなのか。

 

私自身の体験談にはなりますが、過去の記事がご参考になればと思います。よろしければご覧ください(^^)

 

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「そこそこほどほどの生き方」という本を読もうとしたとき、ふと頭でこんな声をキャッチしました。

 

「私はそんな生き方せぇへんけどな。」

 

チャーハンを作っているとき、母のように味の素を使おうとしたら頭でこんな声をキャッチしました。

 

「味の素ってあんまり良くないねんで?」

 

え、今の声なに??

、、あっ!

 

 

 

 

これは10年ほど前、私がカウンセリングに通いだした頃の話です。

 

声の主は10歳年上の長姉で、姉ならこう言いそう…という想像で、実際に姉が言ったわけではありません。

でもこの声をキャッチしたのがターニングポイントでした。

 

 

私は三姉妹の末っ子で姉2人は年子。

小学生のとき姉たちはバブリーなOL。

 

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特に長姉は私との性格的な相性もあり、姉以上母親未満となって影響力も大きく、"お姉ちゃんが言うならそれが正しいんだろう"という考えを知らない間に持っていました。

 

新婚で料理に余裕がなかったとは言え、調味料1つ使うにも反射的に迷うほど、当時は自分に自信や責任を持てませんでした。

失敗して傷つくのが怖かったんですよねぇ。

 

でも特にめちゃくちゃ困ってると感じてないし、むしろ皆んなに支えてもらって恵まれてる。

だけど

自分がボヤけてフワフワしているような、

いつも何かを気にして緊張しているような。

 

恵まれているからこそ"裏側"を見るのが怖かったんです。

 

で、結婚して数年後、身体の怠さと吐き気が続き、内科へ行っても原因が分からずカウンセリングへ通い始めます。

 

あれ、

何を言っても否定されないし、アドバイスも押し付けられる感じがない、、。

意見を言っても物申す的にちゃちゃ入れされない!

 

めっちゃ新鮮でした。

素直に感情を表現する許可ができ、何も感じてないんじゃなくて感情を麻痺させていたと気づきました。

 

カウンセラーから自分を知るサポートをしてもらいながら、日常では自分の感じていることに意識を向ける習慣をつけた結果、冒頭の声をキャッチしたのです。

 

うわっ、

私こうやって"脳内お姉ちゃん"に

しょっちゅうお伺いたててたんや、、。

 

"脳内お姉ちゃん"の声は呼吸する、トイレに行くレベルか⁈ってくらい、無意識で無自覚なことでした。

 

②、③と続きます。

少し長くなりますが、カウンセリングを受けることがイメージしやすくなれば嬉しいです(^^)

 

 

 

それしかないわけないでしょう

 

今日のタイトルはこちらの絵本からなんですが、

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たまたま入った喫茶店に置かれていて、この表紙に惹かれて中を見たら

え、深い

となりまして。

中でもこちらのページ。


f:id:color-takayo:20210929144931j:image見にくいですが拡大してご覧ください

 

ほんとにそうだなぁって思いました。

どっちかしかないってないですよね。

 

で、今日の本題なんですが、

最近たまーに

「嫌いな人って実は自分と似てるの?」

と聞かれることがあります。

 

似てるというより解説が難しいところなんですが。

ユング心理学では「自分が認めたくない自分」と同じようなタイプの他人を見ると、人は感情を刺激される傾向があると言われています。

なので正直その可能性は否定できないのです。

(必ずしもそうとは限りません)

 

ただこの概念、場合によっては

むっちゃくちゃ

受け入れ難くないですか?

f:id:color-takayo:20210929150618j:image来月からの新シリーズ楽しみ♬

 

だってその人のこと嫌なヤツ、ダメなヤツと思ってるんですもん。

そんな人と一緒とかマジですんごいモヤっとしますよね。

で、先程の絵本に戻るわけですが、これについても

"それしかないわけないでしょう"

の視点で見てみると少しラクになるかもしれません(^^)

 

確かに同じ部分というか、本当はあの人がやっている不快な言動を実は自分もやってみたいけど、その欲求を抑えてきたのかもしれない。

でもそんな自分を認めたりその言動をしてしまったら、、、。

 

安心してください、してしまっても

その人そのものになるわけないでしょう

ってやつなんです。

 

あくまでもそういう一部が自分に存在しているけど、自覚してコントロールできればその一部が自分全体に影響するわけじゃない。

"その人"と自分はやっぱり違う人格なんだよって分かっていれば、むしろ自分の持ってるルールや考え方の幅を広げたり、新しい自分を見つけて解放感を感じさせてくれる相手に変容する可能性すら出てきます。

ただコントロールするには自覚しないとできないので、「私そんな風に思ってるんだなぁ」と自分のことをジャッジせずただ認める自己受容も大切になります。

 

あ!ちなみに嫌いって感情はワルモノではないし、嫌いな人を好きになりましょう、嫌いな感情を無くしましょうって言いたいのではありません。

あの人は嫌い、嫌いやねんの気持ちのまま、その上で相手のことを部分的に見ることで気持ちがラクになったり気づくことがありますよーってお話です。

 

それしかないわけないでしょう

実は色んなところで使える魔法の言葉かもしれませんね(^^)