ココロはカラフル

ココロもエステしませんか?

着る物で人生は変わる

 

インスタライブでファッションデザイナーの丸山敬太さんが

『着る物で人生は変わる』

って言われてたんです。

 

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その言葉の音は穏やかでしなやかなのに確信に満ちていて力強くて。

私も着る物に人生を変えるお手伝いしてもらったーって深夜に1人興奮しました。

 

 

心のことをしてなかった頃は自分を粗末にしてるとか後回しにしてるとか、そんな感覚すらなくて、仮にそうだとしても別に良くね?くらいに思ってました。

だって大切な人たちのために自分が望んでやってることで、それで目の前が上手くまわるなら我慢しとけばいいやん。

と、"I'm OK、You're OK"の概念がこの時はまだ無かったんです。

 

で、体調を崩した時に我慢の蓋は外れ、

私はもっと大切にされたい

という強烈な思いが出てきました。

 

でも自分を大切するって?

そもそも人間の価値って周りに愛されたり大切にされたり評価されてナンボで、そのために頑張るのやないのかい?

自己満とかってナルシシストでイタくないん?

 

ここまで言語化はできてなかったけど、漠然とそんな頭で生きてたように思います。

そしてそもそもこの考え方が私の性格とは相性が良くなかった。

 

 

思考優先だった私が変わるのに必要だったのが

とにかく感じること。

 

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感度を上げる実践をしやすかったのが、元々好きなファッションでした。

 

子供の頃から楽しんでたつもりだったけど、自分の感度をより大切に意識してみたら制限と抵抗、出るわ出るわ!

値段、シルエット、カラー、値段、体裁、値段。

(あら、気づけば値段が3回も。)

 

好き、着たい、似合うで"ちゃんと"選んでるつもりの奥にある無意識の思考の中には、

自分で自分をどうイメージしているか

専業主婦である自分へのステレオタイプ

自分の役割をどんな設定にしているか

など、自分を知るヒントがけっこうあったのです。

ここを出発点に、感じることを他のジャンルにも応用していくことができました。

 

 

今は当時より自由に楽しんで、ありがたいことに素敵な方たちとのご縁にも恵まれ、あの時の私が今の私を見たらおったまげると思いますが、とは言えまだ抵抗も制限もあります。

 

でも当時と違うのは、その抵抗や制限に気づきやすいこと、気づいたらそれをどこまで手放すかをごまかしも無茶もせず自分で選択している感覚があることで、これが1番楽になれた変容です。

 

こうして私の変容を助けてくれたのはファッションに自己表現の要素があって、性格やその時期の気分が投影されやすいからなのもあります。

さらに色彩とも深く関わりがある。

 

そんな理由から楽しみながら外側から内面へアプローチできるよう、スタイリストのnoricoさんとファッションとメンタルをマッチングしたユニットも立ち上げていますので、ぜひそちらも覗いてください♡

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対等という敬意

 

心理学者のアドラーは、

"人は対等である"

と唱えています。

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親と子、上司と部下、顧客と業者など、あらゆる対人関係は「縦」ではなく「横」の関係にあり、人と人とは対等であると言うのです。

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親に向かって口答えするな、子供のくせに〇〇だ!

と言われて育った昭和世代の私にとって、この考え方は最初ちんぷんかんぷん!

 

でも今はその意味がだんだんと分かってきて、こんな風に思うのです。

 

好きなヒト、モノ、コトこそ

心の中では対等でありたいと。

 

私は好きなヒト、モノ、コトを自分より上に置く癖が元々あって、癖が出やすいパターンでは気をつけていないと今も発動することがあります。

それは心理学や先人の知恵的な知識もしかり。

 

上に置くっていうのは自分の感覚じゃなくそのヒト、モノ、コトを基準、軸にするって意味です。

それが行き過ぎると、萎縮感、強迫観念や執着に変わる可能性を帯びてくることも今は分かってまして。。

 

そうなるといつの間にか

"やりたい"が

"やらされてる"、"やらなきゃ"に感覚が変わっていたり、

 

すると決めた・受け入れたのは自分なのに

"こんなことされた"、"言われた"に解釈が変わっていたり。

 

 

それは時に

"好き"から"嫌い"へ反転することを予感させます。

 

 

好きなヒト、モノ、コトは私がいる世界に現れてくれた、もしくは私の無意識が出現させた大切にしたい存在。

 

だから対等の中には

対象へも自分へも敬意と尊重は存在するし、その気持ちを持ち続けたい。

(お互いにこの感覚がある程度一致してないと居心地悪くなっちゃうんですけどね)

と言いつつ、人からよく思われたい、嫌われたくない願望が元々強いからさぁ、日々プチチャレンジですわぁ 汗

 

大切だからこそ対等で在るために

できる限り

強がらず、弱ぶらず、

いい子ぶらず、悪ぶらず、

あるがまま、

主体的でありたいと思うのです。

〇〇で何が悪いの?

 

自分軸と他人軸。

 

ポジティブとネガティブ。

 

自己肯定感が高いと低い。

 

 

こうした自分の感じ方、状態って

(性格と違って、何と言えばええかなぁ)

どちらが自分にとって

楽か

快適か

幸せか

といった基準ですが、

ここに優劣って

いらなくないですかぁ?

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自分が楽に、リラックスして、ハッピーになりたくて変わろうとするわけで、自分軸で生きてる人の方が優れていて他人軸で生きてる人が劣ってるわけじゃなく。

現時点の自分が

ダメだからで、

欠けているからで、

劣っているからで、

 

ってことかというと、

ちゃうちゃうちゃーう!

f:id:color-takayo:20210616192421j:imageん?呼んだ?

 

でも人間って優劣が気になる生き物でもあって、アドラー心理学でもこんなことが言われてます。

 

すべての人を動機づけ、われわれがわれわれの文化へなすあらゆる貢献の源泉は、優越性の追求である。人間の生活の全体は、この活動の太い線に沿って、即ち、下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する。

 

今より上へ、優れようと思う反対にあるのが劣等感で、これが他者との比較、他者への批判に向くとズレていくって話なんですが、それはまた今度ゆっくり♡

 

今日お伝えしたいのは、自分の"在り方"に優劣は関係ないということ。

(これまた優劣がダメって話でもありません。)

自分の快適さ、生きやすさと言う"在り方"のために取り組んでいるってことを意識することが大切です。

もちろん変容に気づいたら、よくやってきたなぁ!って自分を認めることもお忘れなく♡

 

なんかモヤモヤする時は、そこに優劣を持ち込んでいないかな?と感じてみてください。

そうすると自己否定やダメ出しの機会が減って力を抜いて自分の変容を見守れるように(^^)

 

また、人は変わろうとする時どうしても力みがち♡エイって勇気出す機会も出てきますもんね。

だから力みに気づいたらそんな自分もオッケーと許しながら、心地いいところ、落ち着きどころを見つけていきたいと私も思ってます!

 

良かったら一緒に見つけていきましょー(^^)/

そんな自分にププッ

 

自粛期間が始まって以来、ほぼ週一でヨガのオンラインレッスンを受けてるんですが、

 

f:id:color-takayo:20210609032235j:imageこちらは大好きな長谷川潤ちゃん♡うっとり

 

心のクセがポーズに出るのが面白くて!

クセ炙り出る炙り出る。。

 

堂々1位は真面目さです。

先生に「伸ばせる人はさらに伸ばしてー」と言われれば一生懸命伸ばして内心で痛ててー!

「心地いいと感じる程度で大丈夫ですよー」という言葉で我に帰ってベストポジションを探すの繰り返し。

これは負けず嫌いもあるか。

 

 

同じ動きをそれぞれのペースでやる時は他の人を待たせちゃダメとか、身体の心地良さや伸びを感じるよりも、ポーズがちゃんと上手くできてるかに気をとられるとか。

で、ちゃんとしようとすると肩ってめっちゃ力入るんですよ!

"肩肘張らずに"って表現もあるように、頑張ってる時って肩や腕周りが力むんやなぁと実感します。

 

この心のクセが炙り出る瞬間がちょいちょい可笑しくて。

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でもレッスンの最中にそんな自分をププッと笑えていることに気づいて、それが何か嬉しかったんですよね。

 

 

前ならきっとこう思っていたと思います。

あーもーまた真面目にやろうとしてる!

リラックスせなあかんやん!

 

はい真面目。

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とは言え真面目は私の性分で、それが良く働く場面と自分をしんどくする場面があるってことでして。

 

そう頭で理解してても気づいたらしんどいモード入ってた!って時はまだまだありますけどね。

だからそんな自分に気づいたら「あーまたやってるやってる」と"ちゃんとやろう"と"心地いい"の行ったり来たりな揺れる想いをからだで感じて。

 

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クセに合わせた工夫をしながら、徐々に心地いい方の時間を増やすのが今の私に合ったペースや型みたいです。

 

特に制限のある生活の今、どうしても知らず知らずのうちに力が入ってることが多いと感じます。

なので心と身体の声に耳を傾けながら、ご自分なりのリラックス方法やタイミングを見つけることをオススメしたいです。

もちろんセラピーでもお手伝いするので、興味のある方はいつでもお声掛けくださいね(^^)

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反面教師

 

反面教師を改めてググるとこんな意味だそうで。

 

悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例のこと。それを見ることで、反省の材料となるような人や事例。その言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するのに役立つのでいう。

 

かと言ってあまりにも反面教師が多かったり頑なにバツしすぎると、取り締まりや禁止・制限となって自分へ矛先が向くので変な力みになったりするんですよね。

 

私も一時期あの人もこの人も反面教師!みたいな時がありましてね。

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自分は

そうなるまい、

 

そうなってないよな?!

 

 

 

 

って思ってるから

ますますそう言う人が目について

あーイライラ!

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でもよく考えたら

私ほんまにその人たちみたいなことしてへんか?

っていう話で。

気づかんとやってることもあるやろなぁと。

てか、あったんです。。

 

だから反面教師に対して、ないわ〜とか嫌やわ〜って気持ちは掻き消さないまま、そこに

とは言え

自分もやってええんやで?

くらいの融通性を許しておくのも大切だと思います。(もちろん法律的・倫理的にダメことは別ですよ。)

そうすると変に力んだり感情が波打つことを防ぎやすいんです。

 

「そうなりたくない」「そんなことしたくない」

という目標は、

「そうなってはいけない」「しちゃダメ」

というルールってわけじゃありません。

 

前にも似た内容を記事にしましたが

 

反面教師と思っているその人は本当に反面教師なのかな?って視点を持ってみるのも、違った自分が見えて面白いかもしれません(^^)

その上でいやーやっぱり反面教師!とはっきりしたら、自分の中で起こる反応が変わるかも?

認められたいの向こう側

 

仕事の発信をSNSで始めた頃、

フォロワー数=自分への評価=私の価値

という式を自分で作ってしんどい時期がありました。

フォロワー数が増えないってことは私を支持する人が少ない。

つまり世間で私の価値は低い、

私ってイケてへんのかー 

って。

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え、待って?

確かに数字は私が発信する内容の評価の指標やけど、私の存在そのものを評価するのではないやん。

というか、そもそも私の存在自体に評価っておかしくね?

 

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腑に落ちるまで時間は掛かったものの、そう気づいて楽になりました。

 

で、

今日の記事は気持ちを紐解いて気づくとなぜ解放感があるのか、です。

 

 

その時ふと、私は認められた先に何があると思ってるんかな?と、もしも人に認められたら、、ホワホワホワーンとその状況をありありと思い浮かべてみたのです。

 

たくさんの人がセラピーを受けてくれて幸せな人が増えてる!

喜び♡

うんうん、そやけど。

でもまだあるよね?(¬_¬)

 

そこにはてっきりワッショイとお神輿で担がれているような

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悦に入ってる感じもあるのかと思いきや。

あ、それもあるにはあったんですが笑

意外だったのが安心感でした。

 

なぜなら私の中にこんな思考回路が存在してたんです。

世間で認められて影響力を持つ人は、バカにされたり批判されたりしにくいんだろうな

そんな守られるバリアみたいなのがあって

いいなぁ、私もそのバリア欲しい

そしたら怖がらず自由に自分を表現できるのに

(↑あくまで私の脳内イメージです 汗)

 

そんなこと思ってたんや。

 

次にじゃあ何でそんなに怖いのかな?と思った時、私の場合、深いところで攻撃性をすっごーく抑圧していたと気づきました。

 

怒り自体はOK

でも強い態度で反撃するのはNO!って。

(親密な人は除く、、)

 

嫌な思いをしても対応は冷静に。露骨に気持ちを顔に出したり、やめてよ!と感情露に表現したり、プチ正当防衛すら抑えていたんです。

 

え、自分に嫌なこと言うてくる、してくる相手やのに?

それって自分を守る術を持ち合わせてないってことやん!

そら傷つく可能性ですら怖いはずやわ!と。

 

神社仏閣にある狛犬や仁王像が揃って怖い顔なのは結界を張って守るためだそうで、神様だってそんな存在を置いてるのに。

f:id:color-takayo:20210530025724j:image(確かに怖い、、)

私も自分を守る術が無いのは不安やろー!

よし、今この瞬間から攻撃性を許す!と思ったら、、

 

 

むちゃくちゃホッとしたんです。

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重しが取れた瞬間でした。

自分を表現する怖さを手放すためには、プライドを捨てるや人の目を気にしない、嫌われる勇気を持つ、自己肯定感を上げるってのもありますが、私には攻撃性に許可をするのも重要だったみたいです。

 

気持ちが解放される経緯ってこんな流れです。

先日セラピーで恐怖についてお話していて自分のことを思い出したので。

 

心の奥の動きのことを深層心理といいますが、「層」って漢字が入ってるようにホント心ってミルフィーユのような層をめくりながら力を抜いて本音をたどる感じなんですよね。

 

この記事でそれを少しでも感じてもらえたら嬉しいです(^^)

 

セラピースペース plug Me
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笑顔の行方

 

気分が下がった時に口角を上げて笑うと脳がポジティブになりだすって話。

これは科学的にも言われていることですし、個人的にも笑顔は大切と思ってます。

 

でもこれも

ケース バイ ケースだお♡

(あ。心のことに限らずか。)

 

何の話をしたいかというと、

例えば私が中学生の時、ある先生から

「今日はえらいテンション高いけど家で何かあった?」

的なことを言われたことがありました。

 

実際当たっていたからドキッとしたので今でも覚えているんです笑

 

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今思うと当時の私の態度は反動形成という防衛機制で、気持ちと反対の行動をとることで不快な感情を感じないようにしていたんだと思います。

私のテンションがよっぽどおかしかんたんかもしれんけど、、。先生よく見てくれてはったんやなぁ。

 

 

人間は辛いからこそ、しんどいからこそ、諦めるしかないからこそ、笑うことがあります。

 

これは無理に笑うことがダメという話ではなく、ネガティブを推奨しているわけでもありません。

笑うことで気分が切り替えられることはありますし、人間は矛盾を抱えながら生きる側面もありますもんね。

でも辛いのにいつもニコニコしてると、自分の本音が分からなくなっていくのも確かなんです。

笑ってごまかす、なんて言葉もあるように。

だから感情のまんまの表情、行動を大切にすることが必要な人もいるので、口角を上げていきましょう♬と言われてもそう思えない、できない時はしなくて大丈夫です。

 

笑顔の行方を握っているのは自分自身でもある!

f:id:color-takayo:20210511220743j:image"あなただけが握っているこの笑顔の行方を〜"って歌詞がね、あるんです

感じたい時に感じたい感情を感じられるって、安心という土台があるからこそできることでもあるので。

 

そんな安心感をセラピーでは大切にしています。

安心の器でお待ちしています(^^)