キザなタイトルで始まりました本日のブログ。KinKi Kidsの「愛されるより愛したい」っていう曲中の歌詞をお借りしました。
何でこの歌詞?ですが、恥ずかしながら母の日に感じたんです 笑
子供ってもしかしたら母親に、しいては人間って愛されるより愛したい気持ちの方が勝るかもしれないって。マジで。
我が家には高齢のワンコがいてまして、寝顔を見ながらちょっとおセンチになった時ふと思ったんです。
この子がお別れの時にどんな気持ちを伝えてくれたら嬉しいかな?
「オレ生まれてきてよかった!」
それ最高やん♡
じゃあ私がそう言ったら母は喜ぶ?と思ったけど、同時に浮かんだのは「そんなん言うたら"あんたはええな"とかってお母さん拗ねるんちゃう?」
わっ、私まだそんなん浮かぶんやと自分の思考にその瞬間気づいたけど、苦労してきた母に遠慮して、幸せにブレーキを掛けてた頃が蘇り、まだその罪悪感みたいな気持ちの残尿感というか(ちょっとやだ例え!!) 。まだ少し残ってたんやなぁと。
母とは色々ありましたが、最近はいい関係でいる距離を意識してて、生まれてきて良かったと実際母の日に伝えたら、照れ屋な母は育てた甲斐があったわぁと冗談ぽく笑ってました。
その時また蘇ったことが。
それは母にもっと愛されたかった寂しさだけでなく、母をもっと愛したかった寂しさもあったこと。
お母さんを好きでいたいのにそんな態度や発言されたら好きでいられへんくて悲しい。
そんな気持ちに気づいたのはずいぶん前だけど特に何もしてなくて。
でも言ってみたらあの寂しさを解消したくて伝えたかったんだと気づき、愛したいという気持ちのパワーをありありと感じて浮かんだのがあの歌詞だったわけです 笑
母に対してはこれまで嫌いと好きが心の中で引っ張り合いをしてて、決着をつけなきゃみたいに思い込んでたけど、両方の気持ちを否定せず居場所を作ることから始め、許すステップ(自分を許したらダメ人間になる? - ココロはカラフル)などをしてたら、気づけばお母さんのこういうとこは嫌、こういうとこは良いな、それがお母さんやなってなってて。
まさに愛着理論の全体対象、部分対象の話やんとマニアックなことを思った母の日なのでした 笑
あとですね、もっと愛したかったは自分にも感じたことがあったんですよね。
心が色んなことから解放されていった時、私にはこんなに素敵で良いところがあったのにもっとシンプルに認めて愛せば良かったって。(引かれへんか心配やけど危ない橋を渡ってでもお伝えしたい!!笑)
だからセラピースペースplus Cが掲げているのは
"自分らしく生きると決めた方が魅力とパワーを思い出す場所"
元々持っているから思い出すっていうのがポイントなんです(^^)
"自分を愛する"や"大事にする"は、手段でも目的でもなく当たり前、前提にあるもの。その安心をお伝えしたいんです(^^)
ぜひセラピーでより魅力とパワーを思い出しませんか?